"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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アピール(第10回原爆絵画展を終えて)

原爆絵画展西部実行委員代表 川崎正司

絵画展の感想を書く子どもたち
絵画展の感想を書く子どもたち

 戦後57年後の原爆投下の記念日が、今年も巡ってきました。私たちが「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」を始めてから、今年で10回目となりました。

 最近の一年間は、十年一昔といってきた時代と違って、1年が10年分にも相当する程、様々な事件が国の内外で続発しています。世界各地で起きた事件が、他の多くの国々へも多様な影響を与える時代となってしまいました。核兵器を巡る問題にしても、ある1国の去就が他の国々に多くの問題を投げかけて、それが世界の平和と人類の存亡にまで発展するのではないかという危機感さえ抱かされる状況にあります。

 歴史は繰り返すと言われますが、歴史の事実が人々の記憶から薄れ、忘れられることに比例して、戦争の危機は近づきます。昨年9月11日の同時多発テロ以降、核兵器使用の可能性が高まってきています。今年5月には、唯一の被爆国であり、核兵器廃絶の先頭に立つ責務のある日本国政府首脳が、こともあろうに非核三原則見直し発言し、世論の反撃を受けました。

 我が国で、平和都市宣言をしている自治体は、全国3288自治体のうち約81パーセント。埼玉では91自治体のうち61自治体が宣言をしています。(2002年5月31日朝日新聞による) 全国で80パーセント近く、そして埼玉では70パーセント弱の自治体が宣言をしている実情ですが、本気で平和行政や平和教育に取り組んでいる市町村は少数派のようです。世界に誇る平和憲法を掲げる日本国の自治体には平和都市宣言を死蔵させないでほしいと思いませんか。

 今年の原爆絵画展は、10周年の節目の年に行われました。その企画についても知恵を出し合って準備を進めて参りました。8月24日の特別企画には、幸い広島から被爆者の小方澄子さんにおいでいただき、当時の生々しい被爆体験をお聞きする会を持つことが出来ました。当日には予想を上回る来場者があって、一同深い感銘を受けたのでした。この体験談をお聞きする会と並行して、「広島・長崎被爆体験記」の募集を行いました。応募原稿は数点でしたが、貴重な体験が記されています。緒方さんの話ともども冊子にまとめました。

 この他、10周年記念行事として、「平和を創ろう表現展」と銘打って、絵画・イラスト・写真・書などの作品を募集しました。作品の中に、「平和」または「PEACE」の文字を入れる約束で。

 「平和を紡ぐ」という仕事は、根気のいる営みかと思います。時に賽の河原の石積みを連想することもあります。私たちの10年間の営みは遅々たる歩みでした。素人の手作りの企画でしたが、その中から小さいながらも「流れ」ができてきたように思います。広島の「被爆アオギリの願いを広める会」から種を分けてもらい、被爆アオギリ2世苗を育てていることもその一つです。2000年の秋に播いた種が定植できるまでに育ちました。坂戸市の公立小中学校の公有地等に順次植樹していくことが、市当局の配慮で実現しました。

 広島の被爆者の方から、直接体験談をお聞き出来たこと、被爆体験記を寄せて頂いたこと、被爆アオギリ2世苗作りが何とか軌道に乗り始めたこと、「平和を創ろう表現展」の作品募集を手がけたことなど、折角できたこの「流れ」を涸らすことなく、さらに大きな流れにしていけたらと願っています。

 10年の間には、たくさんの出会いやふれ合いがありました。多くの方々に支えられて、時に叱咤激励を受けたこともありました。今年もまた、地元坂戸市や鶴ヶ島市からは物心両面のご支援をいただきました。また、近隣の市町村からもあたたかいご後援を頂きました。さらに多くの市民の方々、企業、組合、商店、グループなどの方からもご理解を頂き、協賛金の拠出による資金援助をはじめとする有形無形の励ましとご協力を得て、10周年にふさわしい原爆絵画展ができたこと、紙上より感謝とお礼を申し上げます。

 2日間に400名余りの方々が足を運んで下さいました。多くの感想文も寄せて頂きました。それらの中には、私たちへの励ましの言葉や提言などもあります。それらを謙虚に受け止めて次回に生かしていきます。2003年の原爆絵画展に向け、心を新たにしてスタートすることを申し添えて、報告といたします。ありがとうございました。