"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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アピール(第9回原爆絵画展を終えて)

原爆絵画展西部実行委員会代表 川崎正司

絵画展展示の様子
絵画展展示の様子

 真夏の暑さと共に、原爆投下の56年目の記念日が巡ってきました。私たちが原爆絵画展を始めてから、今年で9年目を迎えることができました。期間中、坂戸市をはじめ近隣市町村より300名以上の方々が会場を訪れました。感想文を寄せてくださった人、実行委員に見学の一端についてコメントしてくださった方、あるいは協賛金を拠出してくださった方など、さまざまな仕方で物心両面のご支援・ご協力を頂きました。皆様方のこのような行為が絵画展を企画・推進する私たちにとって、何よりの励ましになっております。厚くお礼申し上げます。

 20世紀が終わり、21世紀を迎えるに当たって、マスコミ等を中心に「20世紀は戦争の世紀であった。21世紀こそ平和の世紀にしなければならない。」と連日叫んでいたのが、つい先日のことのように思い出されます。何もしなくても21世紀は平和が訪れると、錯覚しそうな程の喧騒さでした。

 21世紀を迎えてすでに8ヵ月が経過しました。広島・長崎の史実以降、核兵器使用による大量の殺傷の事実こそはありませんが、核兵器の脅威がなくなった訳ではありません。昨年5月、ニューヨークで行われたNTP(核拡散防止条約)再検討会議での「核兵器国家は保有核兵器の完全廃棄を達成するという明確な約束を行う」とする最終文書の合意という成果をあげてきています。反面1996年の国連総会での CTBT(包括的核実験禁止条約)が採択されたのでしたが、最近ではアメリカのいわゆる単独行動主義によるCTBTからの離脱や地球温暖化防止条約・京都議定書批准拒否、原発推進政策への転換を行う動きが見られます。

 臨界前核実験についていえば、アメリカは2000年12月14日にネバダ州の地下核実験場で13回目の、そして、ロシアでは2000年10月に2回にわたる臨界前核実験を実施したと発表しています。広島市では秋葉忠利市長名で両国の大統領および両国大使館あてに抗議文を出しています。

 私たちは、広島・長崎の心を伝え、核兵器廃絶を願う平和運動の一環として、昨年広島から被爆アオギリの種を取り寄せて播きました。今春4株の被爆アオギリ2世が芽生え、現在順調に育っています。今年も継続して被爆アオギリ2世を育てたいと、種の入手を心待ちにしています。被爆アオギリ2世の苗が定植できるまでに成長しましたら、市にお願いして公有地に植えさせて頂き、「広島の心を伝えるアオギリの緑陰の場」などに役立てられればなどと考えています。

 今年は、カンボジアのタイ人地雷のパネル展示(カンボジア対人地雷撤去活動をしている市民の一人より借用)をしましたが、次年度には展示内容を発展させて戦争の悲惨さや平和を考える資料として補強しようと思っています。

 私たちの営みはささやかであって、一波が万波を呼ぶほどの力はありませんが、一波が二波になればと思います。ユネスコ憲章の前文に、「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあります。どうぞ皆様も「平和のとりで」を築く使徒として、他の一人に二波・三波を及ぼして下さい。

 8月4日は埼玉新聞社、朝日新聞社よりの取材があり、翌5日に取材記事を見て会場にみえた方があり感謝しております。また、伊利坂戸市長さんは昨年に続きおいで頂き、被爆アオギリ2世の苗にも目を止めて下さいました。今年も坂戸市・鶴ヶ島市及び日高市・毛呂山町・越生町におかれましては、ご後援を快諾下さって、私たちの運動の大きな支えとなりました。今後とも変わらぬご指導・ご後援をお願い申しあげます。

 今年は、歴史教科書等をめぐる問題や靖国神社公式参拝について議論沸騰の時期での開催となりました。平和を築き上げるためには、基調にアジア近隣諸国等との歴史観の共通認識が前提になるかと思考しています。

 つたない報告集ではありますが、皆様から叱咤を謙虚に受け止めて、次年度の糧といたしますので、変わらぬご支援をお願いし、報告といたします。