"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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アピール(第6回原爆絵画展を終えて)

原爆絵画展西部実行委員会 岡村ひさ子

 今年は一体どういう年なのだろう。そろそろ6回目の絵画展実行委員会を開こうかという5月、インド・パキスタンがあいついで核実験を強行、「ナショナル・プライド(国の誇り)」をかけた核実験はたちまち、世界に核拡散の不安を呼び、紛争地帯の核、イスラム世界への核として、平和を脅かす種となり、アジアの国々を核兵器保有競争へと追い立ててしまった。そして、8月、ケニアとタンザニアの米大使館同時爆破テロが起こり、死者は200人を越えたという。そのテロ行為に対する報復手段として、アメリカはイスラム過激派グループに打撃を与えるため、アフガニスタンとスーダンの拠点と思われる施設へのミサイル攻撃に出たことも大きな衝撃だった。北アイルランドでも爆弾テロが起こり、プロテスタントとカトリック紛争の歴史の中でも最悪の惨事となった。そして、核開発に余念のない北朝鮮が弾道ミサイルを発射か、という報が突然に入った。日本海を飛び、日本列島を越え、太平洋に着弾したらしい。

 これらのことは、ここ3、4か月の間に次々と起きたことの一部にすぎない。冷戦構造が崩れた後、紛争の種となるのは、イデオロギーや思想の違いによるものではなく、文化や文明、民俗、宗教の違いによるものとなると予測された通りの事態が続いている。どうして人間は争いをやめないのだろう、どうして過去の歴史に学ぶことができないのだろう。平和はひとつひとつの積み重ねによってしか築かれないというのに。毎年開く原爆絵画展のアンケートの感想の中にもあった、当たり前の言葉を思い出してみる。結局、「国家の論理」と私たち国民の望む平和とは離れたところにあるのかもしれない。国家の論理が暴走しないように、私たちに近づけるように働きかけてこそ、民主的な国家が成立するのかもしれない。8月末、「各不拡散・核軍縮に関する緊急行動会議」に先がけて開かれたNGOのシンポジウムで、外務省軍縮担当者が「核兵器のない世界の実現を目指しているが現実は難しい。先制使用の可能性も含め、核抑止力を日本政府としては考えている。」と、従来通り、先制が目的ならば核の使用を認める発言を繰り返した。

 そして、北朝鮮のミサイルの件以後、政府内では、国民の不安に応えるべく、日米防衛ガイドライン関連法案の成立を急ぐべきだと勢いづいている。偵察衛星の必要性もいわれ、戦域ミサイル防衛(TMD)の日米共同研究を推進すべきだという議論も盛んになってきたという。しかし、私たちが本当に不安なのは、このように防衛力を増強し、再軍備することであり、日本が平和への道程から外れてしまうことである。そうでなくても、長崎に投下された原爆の材料となったあのプルトニウムが国内にたまりすぎたため、これ以上国際社会の監視の中で批判をかわしてためこんでおけなくなり、原発の中で燃料に混ぜ少しずつ使おうと、着々と準備が始まっている。日本が核物質保有国から、核兵器保有国になる日が来ないようにしたいものだ。

 今年は、展示した絵のコーナーで「平和のトーク&ミニコンサート」を開き、次の世代に伝えていくことの大切さを実感しました。敗戦53年を経て、記憶の風化、語り継ぐ人々の高齢化などがいわれていますが、ヒロシマ原爆投下時に勤労動員され、働いていた中学生だつた方のお話には肌が粟立つものがありました。そして、「歌」っていいですね。不穏な世界状況にあろうとも、現実的でないといわれようと、核も戦争もない平和な世界を築く努力をしようという気持ちが湧いてきました。

 最後に、この原爆絵画展を開くに当たり、多くの方々の力をお借りしましたことを、御礼申し上げます。本当にありがとうございました。