"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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アピール(第5回原爆絵画展を終えて)

原爆絵画展西部実行委員 岡村ひさ子

 暑い夏の日、第5回原爆絵画展開催の当日は、52年前、広島で原爆が投下された日のように雲一つない青空が広がっていました。今年もヒロシマ市民の描いた原爆の絵、2225枚の一部を借り、展示することができました。それも暑い中、汗をふきふき会場に来てくださった皆さん、運営に携わった方々、支えてくださった皆さんのお陰とあらためて感謝の言葉を申し上げます。ありがとうございました。

 今回は、発売されたばかりの吉永小百合さんの原爆詩朗読のCD「第二楽章」を会場に流し、原発事故による放射能汚染で故郷を失い、健康も蝕まれているチェルノブイリの子どもたちの絵画も同時に展示することができました。核の被害は現在もなお、この地球上で起こり、続いているのです。また、広島から帰ったばかりの中学生達が、原爆忌で体験した新鮮な感想を報告し、会場の皆さんと平和の歌を歌うコーナーもあり、世代を超えて平和をつくりあげたいという願いを共感することができたのはとてもうれしいことでした。

 ところが、世界の動きはどうでしょうか。アメリカは今年に入り、2回目の未臨界の核実験を強行、核兵器のプルトニウムの劣化を調べるために必要と、これからも年2回から4回の実験を繰り返すと発表しました。自衛隊機が邦人救助のためとはいえ、初めて外国、カンボジアへ飛び、アジアの国々は軍機を差し向けたことに懸念を表明しました。また、アメリカ軍の原子力潜水艦の寄港が相次いでいます。そして、「日本の安全のため」といわれる日米ガイドラインの見直しにより、日本の戦争参加への危険性が一層強まってきました。嘉手納、佐世保、横須賀のみならず、日本列島各地の民間港に空母が寄港し、日本を食糧、弾薬、燃料の基地にして、アジア、アフリカへの戦略の足がかりにしようとしています。日本に寄港した空母「ニミッツ」は、その後ペルシャ湾に現れ、イラクを監視しています。また、95ボスニア空爆の時、NATO(北大西洋条約機構)軍が劣化ウラン弾をセルビア人共和国の広範囲で使用し、民間人や環境への放射能汚染が及んでいることが明らかになりました。

 終戦後52年といいながら、戦前へと歩み出しているのではないかと、不安にさせられる動きがさまざまに見られた1年ではなかったでしょうか。私たちは、戦争の被害者にも加害者にもなってはならないのです。知らないうちに軍靴の響きが聞こえていたということがないように、毎日の暮らしの中でも平和について語り、考えたいものです。私たちが、毎年会場を借りて開く原爆絵画展は、ほんとうにささやかな催しですが、平和を考えるきっかけとなり、この地球上から戦争と核がなくなる日がくるように続けていけたらと思います。

 末筆となりましたが、近隣の自治体、教育委員会等のご後援をいただきましたことにお礼申し上げます。