"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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ヒロシマから「加害」を考える(2009原爆絵画展代表団広島訪問感想)

原爆絵画展坂戸・鶴ヶ島地区実行委員 武井芙由子

 「加害のヒロシマ」。それが今回の旅のテーマだった。「ヒロシマ」というと「原爆の被害」というイメージが強くあると思う。私のなかでもそうであった。もちろんそれは間違いと思うが、では、「加害のヒロシマ」とはなんだろうか。現地で、広島県朝鮮人被爆者協議会会長の李実根さんの講演を受けることができた。李さんの言葉は非常に印象的で、考えさせられることが多くあった。ここでは、李さんの言葉をお借りしながら、今回の旅で私自身が考えたことについて書きたい。

1.「原爆ですべてが奪われ、残ったものは差別だけだった」

 原爆の被害を受け、朝鮮人だからと差別を受け、二重の意味で被害者ともいえる李さんの話は印象的だった。強制連行で無理やりに日本に連れてこられ、「朝鮮人だから」と差別され、原爆が落ちた広島で、朝鮮人だからというだけで大ケガをしているというのに医者にも診てもらえなかった人もいるという。現在も在朝被爆者にたいしてはなんの手当もされておらず、李さんの言う差別はずっと続いているのだ。被爆者であり、朝鮮人である李さんは、そんななかでたたかってこられた方だ。「原爆はすべてを破壊したけれど、差別だけは残った」。この言葉の重みを私は計りきれないが、李さんのなかで終わっていない戦争を李さんとともに私たちの手で解決しなくてはいけないと思った。

2.なぜ広島に原爆が落とされたのか

 これについて考えることが今回の旅のメインテーマだったように思う。広島は軍都として発展してきた街で、広島に設置された第5師団は日清戦争から第二次世界大戦まで、あらゆる戦争に参加し、太平洋戦争では侵略の軍隊として、アジアの人々に計り知れない被害を与えたという。正直、この事実を今まで知らなかった。私はどちらかというと今まで、戦争中に日本兵がアジア諸国でどのような加害行為をしたか、日本がどのような被害を受けたか、戦後になにを残したかということには目を向けていたが、なぜ戦争は起こったのか、どのような経緯があったのか、ということにはあまり目を向けていなかったことに気付いた。私は、戦後責任運動に取り組む市民運動団体のメンバーだが、今回広島を訪れ、初めて戦前と戦争、そして戦後が私のなかでつながったように思う。

3.「『かわいそう』『恐ろしい』、そういう感情だけじゃ戦争は終わらない」

 「戦争について知って、『被害にあった人がかわいそう、原爆は恐いな』と思っても戦争は終わらない。なぜ戦争が起こったのか、原因を追究し、理論的に考えなくては絶対に戦争は終わらない」。李さんが最後にそうおっしゃった。李さんは「なぜ広島に原爆が落とされたのか」ということについても非常に勉強しておられたし、戦争の清算、謝罪について、戦後の日本が払った賠償金は経済援助でしかないこと、口では謝罪しても侵略行為を否定するような日本の動きが日本を代表するような人物のなかから見られる、とも話された。

 1995年、戦時中の日本兵による性暴力被害者に対して、「日本の侵略戦争と植民地支配への反省と償いは、政府だけに委ねるべきではなく、日本の国民全体が関わる仕組み、国民自身が戦後責任を自覚的に果たす仕組みを作らばければならない」という考えから「女性のためのアジア平和国民基金」が発足し、基金を募った。けれども多くの被害者は受けとりを拒否したという。「女たちの戦争と平和資料館」の館長である西野瑠美子さんはそのことについて、「受け取り拒否の理由の一つは国家予算ではなく国民からの募金のみに頼る「償い金」では、「日本政府の償いと責任」の位置づけが不明確だというものだった。被害者の思いはどのようなお金でもいいということではなく、日本政府の加害と責任と反省が明確に示された「補償」という性格を携えているものでなければ「償い」の真意を確信することはできないというものだ。被害者の国民基金に対する不信は、度重なる政治家の暴言や歴史修正主義者の言動が野放しにされている状況において、ますます強まっていくことになった」と述べている。  この国民基金の話を李さんの話を聞いているなかで思い出した。私たちは市民同士のつながりをたくさんの国の人々ともつことができる。もはや戦争などなかったかのように仲良くなれたりもするし、戦争について考え合うこともできる。けれども、それが国を動かすほどのレベルにならない限り、問題の根本は解決しないのではないか。李さんの言葉はそういう意味なのだと思う。李さんのような強くきびしい姿勢を見習いたい。

4.最後に

 この旅で、今までは原爆についてしか知らなかったヒロシマをまた違った角度から捉えることができた。広島がかつてどういう土地だったかを知ると同時に、そこから日本のもつ加害性を捉えなおすこともできた。今回の旅は非常に有意義なものだった。私の今後の活動に活かしたい。