ホーム > 2011年 第19回原爆絵画展報告集目次 > アピール(フクシマが加わってしまった) |
武井誠
ヒロシマ、ナガサキとカタカナで書くことが多いのは、単に日本の地名であるだけでなく、全世界の人々が核の問題を考えるときに注目する、あるいは注目してほしい場所であるからです。その中に「フクシマ」が加わってしまいました。
「核も戦争もない世界を!」という気持ちで原爆絵画展に取り組んできましたが、福島第一原子力発電所の事故を、止めることができませんでした。もちろん、原子力発電所の危険性は学習し、止めなければならないと思ってはいました。しかし、心のどこかに、じっくり取り組む時間的ゆとりがあるという油断がありました。痛恨の極みです。
今年の絵画展で、私たちはチェルノブイリの写真、そして東日本大震災、とりわけ福島第一原子力発電所事故の写真を展示しました。事実を展示し、評価は参観された人にゆだねるという、今までの絵画展の「枠」を踏襲しました。しかし、私はさらに踏み込んで、誰がこの事態を招いたのかをはっきり示し、糾弾し、責任を追及したい気持ちでいっぱいでした。
原爆は、落とす人がいたから落ちてきたのです。
原発も、強引に推進した人たちがいたから事故が起きたのです。
天災ではありません。人災です。
そして、その人たちは未だ悔い改めず、性懲りもなく、宣伝や情報操作で私たちの感性を眠らせ、核兵器を拡散し続け、原発再稼働をもくろんでいます。許せないことです。
事実を知れば、核兵器はいやだ、放射能はこわい、とすべての人が感じます。しかしそこはゴールではなく、出発点です。
私たちは、それがなぜなくならないのか考え、行動しなければなりません。私たちの子ども、孫たちの未来を奪わないために。
もし、間に合うのならば・・・・。