ホーム > 2002年 第10回原爆絵画展報告集目次 > 朗読詩 劇団俳優座 高山真樹 |
高山真樹さんは、毛呂山町在住の俳優座のベテラン女優さんです。従軍慰安婦、中国人強制連行問題等にも関心を持っておられて、核戦争で放射能汚染された老夫婦の終末を描いた「風が吹くとき」の自主上演をなさったり、平和というテーマに常に前向きに取り組んでいらっしゃいます。今回も会場に早めにみえ、丁寧に一枚一枚絵をご覧になっていました。
今回の原爆絵画展での朗読は3回目となります。昨年の9月11日のニューヨークでのテロに続き、次々と大きな出来事が起きた一年だったというお話から始まり、今年の広島原爆忌、長崎原爆忌で各々の市長さんが平和宣言で熱っぽく、情熱的に平和について語っていたこと、はっきりとアメリカのブッシュ政権を、平和を壊そうとしていると批判したことに触れ、勇気ある発言だと思ったという紹介がありました。そしてこの日用意された詩集「行李(こうり)の中から出てきた原爆の詩」(暮らしの手帳社刊)をたくさんの本の並んだ古本屋の店先で偶然見つけ、この本に読んでほしいと呼びかけられていると感じたそうです。この本は今から15年ほど前に、峠三吉さんの甥にあたる人の押入れの中にあった行李の中から出てきた原稿をもとにできたものなのだそうです。
小学生、中学生、大人たち、詩人として名を成した人たちではなく、本当に一般の人たちの詩が、峠三吉の詩を織り交ぜて次々と読まれていきました。
「・・・みんな死にました。おじいさんも死んでしまいました。ぜんぶぜんぶ死にました。」と書いた小学3年生の子。
おさない言葉ではあっても精一杯あの時の恐怖を書いたのでしょう。聞く者の胸を揺さぶりました。泣き叫ぶ人、家の下敷きになった子を助け出そうとするがかなわぬ親、「地獄どころのさわぎではなかった」という。愛しい幼子がみるみるふくれあがって苦しむ姿、兄のひとりは半焼けというむごたらしい姿で死んでいった。戦後、米兵に夫のケロイド写真を路上で10枚30円で売ってしのいでいる女の姿。
当時46万人いたヒロシマ市民の9割、41万8606人が亡くなったり、けがをしたり、行方知れずになったりしたそうですが、高山さんは、その代弁者になったよう、苦しみをおさえた声、いわれなき苦しみを味わわされた怒りの声、あきらめにも似た放心した声で、次々と詩を朗読されていました。会場にはぎっしりと用意された椅子におさまりきれない程参加者がいましたが、皆引き込まれるように静かに聞き入っていました。
最後に、峠三吉の後掲の詩を朗読した後、パレスチナとイスラエルの子どもを日本に招いて交流をしたという話をされました。互いに肉親を目の前で殺された子どもたちは、はじめこそ気まずい状態だったそうですが、カタコトの英語で仲良くなっていく。そして、どうしたら戦争をなくせるか話し合うのですが、各々の国の指導者になればいいよ、戦争はきらいだからという結論を出したのだそうです。私たちも創造力を働かせ、ストレートに物事を考え、原点に立ちかえればいいと、締めくくられました。(文責 岡村)
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
(文責 岡村)