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原爆絵画展坂戸・鶴ヶ島地区実行委員 武井誠
2009年2月7日、8日、原爆絵画展・埼玉県坂戸・鶴ヶ島地区実行委員会は、広島を訪問しました。
(右写真:坂戸・鶴ヶ島地区から参加したHさん、Tさん)
2月7日(土)
8時50分、東京発の「のぞみ63号」で一路、広島へ。
参加者は15人、内訳は鎌倉孝夫団長をはじめとする事務局3人、大宮地区4人、浦和地区2人、久喜地区1人、川越地区1人、毛呂山地区1人、そして坂戸・鶴ヶ島地区3人。
12時56分、広島着。そのまま平和公園へ。原爆資料館などをじっくり見学。
15時30分、国立平和祈念館会議室で李実根広島県朝鮮人被爆者協議会会長から被爆体験と侵略の歴史などについて講演を受ける。
18時、現地関係者とともに夕食懇親会。
2月8日(日)
9時、レンタカー2台でフィールドワーク。今回のテーマは「加害のヒロシマ」。
臨時国会議事堂跡、広島城周辺(大本営跡、被爆の木など)、比治山(放影研、陸軍墓地、広島大学医学部(旧兵器廠跡)、旧被服廠跡(被爆建物)など。
ガイド:佐藤次彦広島県平和運動センター事務局長、金子哲夫広島県原水禁常任理事(元衆議院議員)
12時、まとめの会、解散
13時、駅前で広島風お好み焼きで昼食。
14時46分、広島発の「のぞみ90号」で帰京。
今回の旅で、一番視覚的に衝撃を受けたのがこの、地下通信室跡でした。
特別の許可で内部を見学することができました。
この施設は、現在復元された広島城の本丸のすぐ近くにあります。
次の写真は、通信室の入口にある説明です。以下のように書かれていました。
「広島城とその周辺には多くの軍事施設があり、ここは半地下式の作戦司令室、通信室が設けられていた。この通信室では多くの軍人、軍属にまじって学徒動員された比治山高等女学校の女学生たちも働いていた。
原爆で市内の電信電話は破壊されたが、かろうじて残ったこの軍事専用電話を使って、女学生が広島の壊滅を通信した。これが広島の原爆被災の第一報と言われている。」
説明をするのは金子前衆議院議員です。
市の中心部にある被爆建物。現在は廃墟となっている大きな建物が4つ残っているがそれでも全体の12分の1とのこと。
鉄の窓が原爆の爆風でゆがんでいます。